連城三紀彦『造花の蜜』

造花の蜜はどんな妖しい香りを放つのだろうか…その二月末日に発生した誘拐事件で、香奈子が一番大きな恐怖に駆られたのは、それより数十分前、八王子に向かう車の中で事件を察知した瞬間でもなければ、二時間後犯人からの最初の連絡を家の電話で受けとった時でもなく、幼稚園の玄関前で担任の高橋がこう言いだした瞬間だった。高橋は開き直ったような落ち着いた声で、「だって、私、お母さんに…あなたにちゃんと圭太クン渡したじゃないですか」。それは、この誘拐事件のほんの序幕にすぎなかった―。

連城三紀彦さんの、5年ぶりの新作。すごいすごいという噂は聞いていたのですが、この評判に偽りなし。すさまじくトリッキーな、正真正銘の大傑作でした!


最初に起こる子供の誘拐から、犯人の挙動はきわめて不審なのですが、隠されていた事実が明らかになるにつれて、事件が次々とまったく別の姿を見せる展開は圧巻。登場人物のすべてが秘密を抱えているようで、被害者を含めて信頼できる語り手が誰一人いないため、何をよりどころに読めばいいのか、非常に不安定な状態のまま物語が進行していくところがキモでしょう。

この辺の感覚は連城さんのほかの小説にも共通するのですが、ミステリーという、一般的には「誰が、どういう理由で、何をした」というカチッとした枠組みが論理の基盤となっているジャンルにおいて、人間のたいていの行動は、必ずしもきっちりとした理屈に従って起こしているわけではない、という考え方に基づいて物語を組み立てているところが、独特の作風につながっているのかなと思います。

そんなわけで、どこまでいっても少しも事実は確定されず、最後の最後まで真相を隠し続けるテクニックは冴え渡っています。一つだけ難を言えば、新聞連載ということで連載期間が決まっていたという理由もありそうですが、最終章がやや蛇足気味なというところ。その前の章で終わっていれば非常にすっきりまとまっていたのでは、という気がします。


出版日が去年の10月31日で、各種ミステリーランキングの年度的には最終日となってしまったため、ランキングには名前があがってこなかったのが非常に残念。できるだけ多くの方に読んでいただきたい作品です。